2015/5/1

先日、根津美術館にて開催されている「燕子花と紅白梅」展を鑑賞してきました。
根津美術館では毎年、5月の連休時期になると国宝である燕子花図屏風と別の作品を組み合わせて展示するので、今年はどうなるのかと思っていたら、尾形光琳の描いたもう一つの国宝、紅白梅図屏風でした。
ちなみに、過去3年の組み合わせは以下の通りです。
2014年:燕子花図屏風と藤花図屏風(円山応挙、重文)
2013年:燕子花図屏風と琳派作品(夏秋渓流図屏風 鈴木其一、等)
2012年:燕子花図屏風と八橋図屏風(尾形光琳、メトロポリタン美術館所蔵)

燕子花図屏風は、尾形光琳の画業初期の作品(といっても40代半ばですが)です。金地の屏風に緑青の緑と群青の青だけで描かれたいくつもの燕子花が配置された、ただそれだけなのですが、煩雑さを感じない絶妙かつリズミカルな配置が、屏風の枠を超えても燕子花が咲き誇っているような印象を与えてくれます。
燕子花は型紙を反復して使用していることから、構図と併せてそのデザイン性を讃える意見もありますが、私はデザイン性については結果論だと思います。この屏風の題材は他の幾つもの作品で取り上げられている伊勢物語の東下りの段であることは有名ですが、背景や八橋さえも取り去り、残ったのが群生する燕子花のみというのは、余計な装飾を削って、削って、削り取った結果だと思います。また、型紙を使用したのも、光琳は元々呉服商であったことから、当人にとってはごく当たり前の手法だったと思います。

一方、紅白梅図屏風は、尾形光琳の最晩年の作品になります。こちらは金地の屏風の両側に紅梅と白梅を描き、その間を水が流れる構図となっています。梅の幹には琳派の代表的な手法であるたらしこみがこれでもか、というくらい使われている一方で、咲いている梅の花びらは単純化されています。また、真ん中の流水は光琳波と呼ばれる図案化された模様であり、この屏風では尾形光琳の様々な技法を見ることができます。この屏風は琳派の絵師達が描いた風神雷神図屏風を発展させたもの、という見方もあります。すなわち、左右の風神雷神を梅の木に置き換え、風神雷神図では空間になっている部分に流水を描いたとされています。

その他にも蔦の細道図屏風(伝俵屋宗達筆、烏丸光広賛、重文)、弟である尾形乾山との合作による陶器など、見所の多い展覧会となっております。また、時間があれば庭園を散策することをお勧めします。私が行った時はまだ早かったのですが、ホームページを見ると燕子花が見頃となっています。
なお、燕子花図屏風については年々緑青の部分の痛みが気になっています。長期修復ということにならなければいいのですが。

この展覧会は「尾形光琳300年忌記念特別展」と銘打っており、尾形光琳がちょうど300年前の享保元年(1716)に没したことを記念して開催されています。一方で、今年を琳派が誕生して400年としているグループもあります。その理由として、尾形光琳がリスペクトした一人である本阿弥光悦(遠い親戚でもあったと言われています)が徳川家康から鷹峰の土地を拝領し、光悦村という芸術村を築いたことを起点にして400年を経過したのが今年だということです。

節目の年という点では、徳川家康が没して400年ということで、江戸東京博物館で「大関ヶ原展」が、また、尾形光琳が没した1716年は伊藤若冲と与謝蕪村が誕生した年でもあるということで、サントリー美術館で「若冲と蕪村」展が開催されています。参考までに。